時計会社に務めていた時のオナ電の話

1.大学を卒業して入社した会社は時計会社です 就職活動をしていた時代は1980年代の半ばで氷河期とはいえなくても当時は買い手市場でなかなか就職先が決まらない時代でした。首都圏の私立大学で理工学部物理学科という出身や成績も中途半端だったこともあり、最後の方でなんとか滑り込んだ会社が時計会社という会社でした。 当時はセイコーシチズンが大手で優良会社で、は下位に位置して、カシオ計算機がデジタル時計で急成長していた時代でした。

 

時計メイカーを選んだのは積極的な理由ではなく、漠然と研究開発ができればよいなと思っていて、業界下位のメーカーならなんとか採用されるのではないかというぐらいの気持ちでした。 それまで採用試験に落ち続けて内定をもらえなかったときに、大学で時計会社の会社案内が掲示板に貼られていたこともあり試験を受けることとしました。採用試験では筆記と面接がありましたが、なぜか面接でうまく話すことができ採用していただきました。 入社した人数は全部で15人でしたので、大手と異なりこじんまりした同期でしたが、大学のレベルも似たようなものでしたのですぐに友達になることができました。最初の社内旅行はディズニーでしたが、男同士でしたが楽しかったことは今でも覚えています。 2.入社して1年目にエプソンの工場に出向させられました。 入社したときは研究開発部門に配属され、時計外装の基礎研究の一端を任せられるようになっていました。職場の人も和気あいあいしていて、展示会があると職場の人全員で見学にいき、帰りにホロホロチョウの料理を食べて帰ってくることが定番になったいました。いい会社に入ったなと思い、定年までいれればなと思っていたころです。

 

半年後に時計会社の主力製品であるメカ時計が売れなくなってきており、当時はクォーツ時計やデジタル時計に移行している時期でしたが完全に乗り遅れていました。どんどん業績が落ちてきて給料低減やボーナス支給の停止が検討されていました。 毎月のように早期退職の説明会が開催されるようになり、職場の人も申し込むようになっていました。新人なこともあり自分には関係ない話と思いながら会社の行く末に疑問を抱き始めていました。同期でも一人二人退職することになり内心裏切り者だと思いながらうらやましくも感じていました。 両親は会社の業績は浮き沈みがあるのでしばらくこらえるよういっていたのでせっかくはいった会社なので静観していました。 ところが秋ごろに別の仕事を受注することを経営陣が考え、半導体工場を敷地内に建てる計画が発表されました。工場はセイコーとが資本を出し合い新しい会社を設立しました。 

 

さて、返ってオナ電でもしますかね。

 

参考サイト 

オナ電.biz~プロが教えるオナニー電話とテレフォンセックスの極意